[亀本洋の言葉]

2009-10-03

【法學論叢

完全競争市場は効率的であるから、市場と同様に効率的な法がよいのだといった導入の後に、取引費用ゼロの場合、権利分配は資源配分の効率性に影響しないというコースの定理を聞かされた学生は、それをどう理解するであろうか。コースの定理の理解にとって不可欠なのは、それが、市場が存在しない場面を問題にしているということの認識である。市場でない局面に効率性の考え方をあえて一貫して適用することによって、外部性問題について経済学の名で混入していた道徳的考慮をそれから一掃したこと、この点にコースの定理の意義がある。「法と経済学」でよくとりあげられる効率的契約違反の問題などは、完全競争市場がある所では理論上あるいは定義上、起こりえない。取引費用の本質は、交渉費用などではなく、完全競争市場があったと仮定した場合の価格と、当事者がきまってしまって いる事故または相対取引の場合の価格との差額の観点から説明されなければならない。それによって、取引費用の概念自体が、問題をはらむ経済学的概念であることが自然に理解されるようになるだろう。学ぶべき教訓は、使う前に考えよ、ということである。


民法の規定など古典的な私法のほとんどは、実は、経済学が想定するような市場ではなく、むしろ相対取引を念頭において作られている。にもかかわらず、「法と経済学」にくみする者だけでなく、普通の法学者までも、民法は市場経済を支援する機能をはたしていると素朴に説明する。その説明自体は、間違っていないかもしれない。問題は、その際彼らが、「市場」とは何なのかを真剣に考えていないことにある。


法学において「市場」をいかに考えるのか、法学者は、この間題を真剣に検討しなければならない。

[ 亀本 洋 ]