[野中広務の言葉]

2009-1-13

【老兵は死なず】

言うまでもなく、日本の安全保障は、米国なしには成り立ち得ない。戦争に敗れた日本は、戦後、軍事力を限定され、米国の力のもとに自国の安全保障を保ってきた。完全な独立国としての要件を欠いているとも言える


もともと地味な風貌と饒舌とは言えない語り口。また言いたいことを言える立場にある小泉さんなどに比べ、ほぼ首相の座が約束された小渕さんの発言は、どうしても慎重にならざるを得ない。これでは人気が出るはずもない


おそらく小渕さんも私と同じく、見た目やしゃべり方の善し悪しとか、向こう受けするが現実的ではない政策を振りかざすことが、首相の資格ではないと思っていたはずだし、自分の不人気ぶり、「凡人」「冷めたピザ」などと揶揄されていることが、楽しかったはずはない


金融再生関連法案では、政策新人類なる諸君が登場し、国会の場ではなくテレビで事態が進展するという異常事態となった


バッドゲームをしたものは、ほかの業種であれば、即座に退場である。銀行もそれを覚悟するときだ


連立の相手としての公明党は、創価学会を支持母体にしているだけあって、考え方が一つで安定している。加えて数もある


家族のみなさんにすれば、なぜそんな時に後継者を決めねばならないのか。とりあえず臨時代理を立てたまま、首相の病状を見守っても良いのではないかと思うのが自然だ


だが私たちの誰もあの時、喜んで後継者選びをしたわけではない。政治的な空白をつくるわけにはいかなかった。あの時点で後継を決めた理由はその一点につきる


竹下さん。あのころは二人とも若かったですね。みながおなかをすかせて、希望だけはいっぱいあったあの時代、ふたりして山陰本線の列車に揺られながらいろいろなことを話しました


失点続きの森内閣の世論の不満を「風」と感じて、勝負をしかけた男がいた。加藤紘一さんである


加藤さんは自分から党内抗争を考えるような人ではない。そんな軽率な発言はあり得ない。何らかの話の中で出た言葉を大きく曲解して、当人の意思と異なる方向に持っていこうという動きがあるようだ


古賀さんは政治の師と仰ぐ故田中六助さんの遺書ともいうべき『保守本流の直言』という本をいつも傍らに置いてきた。宏池会は自民党を支える保守本流と考える古賀さんにとって、加藤さんにどんなに愛情があったとしても、自民党員でいながら、自民党が与党の内閣への不信任案に反対票を投じないというのは、政治の大道から外れていると考えたのだった


加藤さんは、最後に残ったリベラル派の首相候補として値千金の価値があった。ここで、加藤さんを潰してしまうのはなんとしても惜しかった


政治の流れが作られ、止められ、方向が変えられる過程では様々な力学が働く。その中で時間が与える影響は非常に大きい


小沢さんの押せ押せムードが高まり、新聞やテレビも小沢さん側についた。完全に攻める側のペースで金曜日を迎えた。このまま投票を行えば、相撲の立合いに喩えるなら小沢さんらの呼吸で立つことになる。これではまずい。政治の流れはこの間合いが極めて重要だ。


やはり土日が挟まったことで、燃え上がっていた加藤グループも少し頭が冷えてきたようだ。となれば和解の余地はある


本選で橋本さんが敗れたのは、若手が小泉さんについたことも大きい。自民党の若手、一回生、二回生たちに、橋本さんと直接の接触がほとんどなかったことが一つの敗因だと思う。彼らの選挙の時、橋本さんは首相であったり通産大臣であったり、公務に忙しくて若手の選挙の面倒をあまり見てやれなかった。だから彼らは橋本さんに恩義をあまり感じていなかったのだ


結果的にいえば、この小泉政権の誕生で、流れは大きく変わったのである。メディア政治がさらに加速した。勧善懲悪のわかりやすい図式を描き、橋本派議員、あるいは族議員は「絶対悪」、小泉さんはそれを打破する「正義の騎士」という図式である


道路は、公共財である。たとえば、その道路が一本ひけるかどうかで、その地域の利便性が変わってくる。さらに道路自体はネットワークとして考えれば、単線ごとの収支はあまり意味がない


道路は公共の財産であり、民間企業が管理すべきものではない


JR北海道とJR貨物は永久にだめだ。ところが多くの人はうまく行っている三社だけを見て、他を見ようとしない


劇場民主主義とはテレビ政治と言い換えてもいい


きつい言い方になるが、眞紀子さんはその劇場民主主義の主役の一人だった


政治家として必要な演技力も、久米宏さんなどと一緒に劇団をやっていただけあって、十分にあった。というより、ありすぎた


ただお嬢様育ちで苦労知らずなせいか、自分が苦しい立場に追い詰められた時に、歯を食いしばってしぶとく耐えるということは得意ではなかったようだ


外交の世界で日本国を代表して成果を上げるためには、何かと思い通りにならない外務官僚を掌握して、百戦錬磨の世界の政治家と渡り合わねばならない。言いたいことをはっきり言うことは許されず、何かと辛抱が必要な地位である。そうした役回りに就くには、眞紀子さんはまだ準備ができていなかった


外交官にも、誇りをもって国益のために尽くした人はたくさんいる。だが官僚ではできない領域というものもあって、そこは政治家ががんばらねばならない。今の日本の政治家でも、たとえばアメリカに行って共和党ならこの人が行けば話がつく、民主党ならこの人といった人は非常に少なくなってしまった。ヨーロッパ、ロシア、アメリカでそうした行動ができるのは、現役の議員では橋本龍太郎さんぐらいだろう


石原さんがテレビで「自民党の大物議員が北朝鮮に米を送った。日本の米を途中でタイ米か何かに換えて送ったというのを俺は知ってるんだ」と言ったことがある。とたんに私のところに大変な抗議が集中した。


私は三人(石原慎太郎&亀井静香)と会った時に石原さんに文句を言った。「いや、あんただとは言ってない」「自民党の政治家といったら、みんな俺を指すんだ。俺のところへ抗議が集中するんだ。亀井、おまえも言え」 そうしたら石原さんが、「いや、あれは加藤だった」と。「次のテレビに出て俺は言い直す」 そう言って、実際に言い直していた


政治家はやはり、地方から積み上げていかなくてはならない


地方自治を経験しているかしていないかで、この国の見え方は全然違う

[ 野中 広務 ]