[佐藤優の言葉]

2009-1-13

【国家の罠】

ナショナリズムの世界では、より過激な見解がより正しいことになる


大使館幹部たちがゴルバチョフ派を重視していたので、私は「落ち穂拾い」として、共産党守旧派とエリツィン派、つまり左右両極と深い付き合いをしていた


ソ連ではマルクスが『ヘーゲル法哲学批判序論』で述べた「宗教は人民のアヘンである」という規定を基本に科学的無神論教育を徹底していたので、共産党幹部のキリスト教に関する知識はひじょうに浅薄なものだった


ロシア共産党守旧派の政治家たちは、日本の自民党の政治家に似ている。人間関係を大切にし、物事は何であれ事前に根回しをする体質をもっていた


ゴルバチョフ派の党官僚には信念がなく、時流を見るのに長けた連中が多すぎる。霞が関の小狡い官僚に似ている


バルト諸国の民族主義者やエリツィンの周囲に集まっていた急進民主改革派の人びとはことばと行動が分離していないので好感がもてた


ロシア人は原理原則を譲らない外国人を尊敬する


普段は市内の至る所に立っている交通警官も姿を消し、権力の空白が生じつつあることを肌で感じる


私はいちばんしつこく追いかけてくる記者を大切にすることにした


政界が「男のやきもち」の世界であることを私はロシアでも日本でも嫌というほど見てきた


ジグソーパズルを周囲から作っていき、最後に真っ黒い穴を残し、『ここに入りなさい』という検察のやり方にはなかなかついていけない


外交の世界において、論理構成は、その結論と同じくらい重要性をもつ


東海道をいくら進んでも大井川を越えることができないので、日本政府は今度は中仙道から京都に行くことを考えた。これが「川奈提案」だ


政治家と官僚では、文化も行動の基礎となる「ゲームのルール」も大きく異なる


それにしても外務省が組織的に怪文書作りをし、幹部がそれを配布しているというのは、私にとって衝撃だった。外務省という組織が崩れはじめていた


田中女史が国民の潜在意識に働きかけ、国民の大多数が「何かに対して怒っている状態」が続くようになった。怒りの対象は100パーセント悪く、それを攻撃する理論は100パーセント正しいという二項図式が確立した


専門家以外の人にとって、イスラエルとロシアが特別な関係にあることはなかなかピンとこないにちがいない


十九世紀半ば、ドイツ知識人の小さなサークルで始まった思想運動は、一つはマルクス主義になって、ソ連、東欧、中国の社会主義諸国を生み出し、もう一つが後期モーゼス・ヘスを経由してシオニズムとなり、イスラエル建国につながったと見ることも可能なのである


ユダヤ人は母系を原則とする。すなわち、母親がユダヤ人ならば、その子は無条件にユダヤ人なのである。従って、苗字だけでは、ユダヤ人か否かがわからない場合が多い


ロシアウォッチャーにとって、大晦日は重要だ。ロシアの官公庁は三十一日午前中まで仕事をしている。昼過ぎに職場でスパークリングワインを開けて、「よいお年を」と挨拶して帰路につく。大晦日から信念は友人同士が住宅や別荘に集まって徹夜で大騒ぎをする。日付がかわったところで友人に電話をする。この時に電話がかかってきた人間は特に親しい関係にあるということだ


その時必ず話題になるのが大統領の年末メッセージだ


同じことでも言い方によって相手側の受け止めは大きく異なる。例えば、「お前、嘘をつくなよ」と言えば誰もがカチンとくるが、「お互い正直にやろう」と言えば、別に嫌な感じはしない


日本側の戦略は、「喉の渇いた人間にコップに半分だけ水を入れて与えるともっと水が欲しくなる」というもので、脳天気に人道支援をしているわけではなかった


情報はデータベースに入力していてもあまり意味がなく、記憶にきちんと定着させなくてはならない。この基本を怠っていくら情報を聞き込んだり、地方調査を進めても、上滑りした情報を得ることしかできず、実務の役に立たない


また、できるだけ貸しを作り、借りをつくらないというのが情報屋の職業文化だ


私は外交は廃業だと思っています。私たち外交官のことばが世界でそれなりの重みがあって受け止められるのもその背景に日本の経済力があるからです


人は「好きなこと」と「できること」が違う場合も多い


二十一世紀にサハリンはロシアのクウェートになる


実は情報の世界では、第一印象をとても大切にする。人間には理屈で割り切れない世界があり、その残余を捉える能力が情報屋にとっては重要だ。それが印象なのである


検察は基本的に世論の目線で動く。小泉政権誕生後の世論はワイドショーと週刊誌で動くので、このレベルの「正義」を実現することが検察にとっては死活的に重要になる


クラッシュを作ってそれから仲良くなるというのは政治家がよく使う手法だ


巷間伝わっている鈴木宗男氏のイメージは、ネガティブな要素が肥大してしまったので、到底この世のものとは思えないような大魔王になっているが、長年、国策捜査を扱った特捜検事にはこれが実像から遥かにかけ離れていることくらいは気付いている


情報操作工作によって、逆に国民の検察に対する期待値が上がり、その期待に応えるために国策捜査で無理をするという循環に検察が陥っている


現役時代には、仕事の関係で付き合いたくない人々とも付き合わなくてはならなかったが、これで人間関係を一回リセットできるので、実に爽快な気分だった


ようやく自分の好きなことを中心に生活を組み立てることができそうだ。これからは人間関係を広げずに、静かに国内亡命者として生きていこうと思った。もはや時代に積極的に関与していくことはないが、時代を見る眼だけは持ち続けたいというのが私の考えだった

 

2008-12-23

【インテリジェンス 武器なき戦争】

ほとんどの要人の電話は盗聴されていると考えたほうがいい。例外はワシントンだけでしょう。あそこの電話を盗聴していると、すぐに逆探知されてしまうので、たいへん厄介なことになります。


実は、私のことをラスプーチンと命名したのは鈴木宗男さんなんです。事実、鈴木さんは私が逮捕される直前に、「俺がラスプーチンなんてアダ名をつけちゃったせいで迷惑かけたなあ」と言っていました。


実はロシア人には不思議な習慣がある。カーテンを引くのはアパートの三階ぐらいまでで、それより上の階に住む人たちはカーテンをつけないんです。これが彼らの文化です。


結局、戦前も戦中も日本のカウンター・インテリジェンスは、ドイツを友好国と見なしていないんです。在東京のドイツ大使館員はもちろん、ドイツの特派員たちも監視されていた。タス通信のソ連人記者のほうが、よほど自由に動けるくらいでした。


要するに、当時の日本とドイツはお互いに疑心暗鬼だったというわけです。


死刑というのはゲンを担ぎますから、たとえばいわゆるA級戦犯の死刑は当時の皇太子の誕生日(現・天皇誕生日)、十二月二十三日に行われています。ロシア人を処刑するなら、革命記念日が一番ゲンがいいんですよ。だからゾルゲも昭和十九年の十一月七日に処刑された。審理があの年の革命記念日を超えて続いていれば、少なくとも翌年の十一月七日までは生きていたはずです。


『スパイキャッチャー』(朝日新聞社)という暴露本があります。「情報がロシアに筒抜けになっているのはMI5の長官が彼らに取り込まれているからではないか」という疑惑が物語のベースになっている。この本は、日本の書店には並んでいますが、英国では発禁処分です。著者自身も、身の危険を感じてオーストラリアに逃げざるをえなくなりました。


オマーンの将校は「イギリスは僕らに本気で英語を覚えさせようとしているわけではない。楽しいイギリス生活を送らせれば、それでいいんだよ」と言っていました。つまり、英国に好印象を持って本国に帰ってもらい、いざというときには、そこで築いた人脈をフル稼働させるということです。ちなみにリビアの実質的な元首を務めるムアンマル・カダフィ大佐も、ここの卒業生です。私はカダフィ大佐と同窓なんです。


ビンラディンたちの目的はイスラム原理主義の帝国をつくることで、そこに民族や国民国家の意識はありません。一方、フセインはイラク人による大国民国家をつくることを目指しており、これは基本的に民族主義の亜流です。だからフセインはビンラディンの仲間をたくさん殺しているし、ビンラディンにとってフセインは打倒の対象だった。


イタリアの情報機関というのは、ピンポイントでは独壇場ともいえる強さを持っているんです。それは二ヶ所半あって、一つはイタリアに亡命するコミュニティがあるアルバニア、二つめはかつて植民地だったリビア、最後の半分はエチオピアです。この三ヶ所に関しては強い。しかし逆にいうと、それ以外の場所に関する情報でイタリアから超ヒットが出てくるなんてありえないというのが、業界の常識なんですよ。


そもそもインテリジェンスの世界では、組織よりも人なんです。人材を育てるのが先で、組織をつくるのは最終段階。まず器をつくって、そこに自分たちをはめ込もうというのは、典型的な官僚の発想です。それは同時に、インテリジェンスからもっとも遠い発想でもある。

[ 佐藤 優 ]