[穂積陳重の言葉]

2008-12-04

【忌み名の研究】

題して疑いという。先人の教を奉ずることができず、しかも自分の考えがなお未だ断言できない点があることを知っているからである。他を疑いまた自らを疑う。ここに自他に対する疑いを述べて教えを仰ぐ所以である。できるならば高教を受けて疑いを解決しよう。もしそれができないまでもその疑いの価値を問いただして反省の質としよう。

[ 穂積 陳重 ]