[矢沢永吉の言葉]

2009-08-11

【矢沢永吉激論集 成りあがり】

成りあがり。大好きだね、この言葉。素晴らしいじゃないか。


「銭じゃ買えないものがあります」 ふざけるな! この野郎。おまえにそういえる背景があったのか。


音楽の世界で成功するやつ、言おうか。目立ちたいやつだけよ。そういう気持ちがなきゃダメね。人の前に出てやるのが誰よりも好きなやつ、成功するよ。


山田のギターがチェンジする時なんて、もう殺人的。口では言えない。想像しなくていいよ、それ当たってないと思う。それほどひどい。オレ、自分で歌ってても、滅茶苦茶に合ってないってのわかってる。ゴミだよ。ゴミやゴキブリが集まってやってる。それでも、カッコいいゴキブリだったら「パンク」みたいで、それなりにいいけど、違うんだ。オレ一所懸命やった。三曲やったら、マネージャーがすっ飛んできて、「カット! カット!」。オレ、やめたくなかったから聞こえないふりしてやってた。近くにマネージャーがウロウロしてる。客の踊りも止まっちまうんだ。止まって見てるんだ。「何よコレ?」 珍しいものでも見てる感じ。唖然、総唖然よ。オレもいやんなってきた。そしたら、フニューン。電気切られた。コンセント抜かれたもんね。ショボショボ戻ってった。ドミジメ! 最初のディスコ。


日大病院に行ったわけ。町医者の紹介でね。そこの先生がビビッちゃって「うちではこれ処理できません」と。大学病院行ってくれってわけよ。それが、自分の出身校だってことで、日大病院ってわけなんだ。一回で一万円とか取られたよね。もう、アウトよ。レントゲン、ピピピなんて、一万円。金はない。口は開かない。もう、フラフラ。メシ食ってないんだもの、痛くて。もう死ぬかと思った、マジに。鎮痛剤をずうっと飲んで暮らしてた。オレ、マジよ、これ。痛くてたまらないわけ。もう恥も外聞もない。カミさんの肩につかまって、有り金全部持って、お茶の水の東京医科歯科大学へ行った。あそこに行って。やっぱり、オレ、あの時つくづく思ったね。国立と私立の差だね。


はっきり言うけど、国立と私立の差っていうの、メチャあるみたい。日大、話にならなかったもの。それが、医科歯科大へ行ったら、一発だったものね。あの時、オレ、倅は私立に入れるのやめようと思ったね。だって、片一方はろくすっぽ治療もできなくて、金ばっかり取るわけよ。片一方で、オレ事情先生に話したわけ。すっかりね、金ないことまで。そしたら「ああ、そうか。ちょっと見せてみなさい。ワア、これはひどい。矢沢さん、あなたホント、これほどになるまで、よく我慢したね」と。それから「わかった。じゃ基本料金だけ払いなさい。それは私の権限でもできない。そのかわり、あとは……」


たぶん、先生も打算あったんだと思う。インターンの研究材料になるということ。まわりに、学生みたいなのが、ダーッと並んだもの、五人ぐらい。それで、タダにしてくれたわけ。基本料金だけで、あとの注射代、レントゲン代、全部タダ。「私のサインでいい」って。日大病院で一万円取られるとこ、あの先生のとこに行ったら、千円で済んだのね。たすかった。オレ、国民健康保険とかないんだよ。


オレは、作詞家の阿久悠さんて人が好きなの。保土ヶ谷に住んでた。三万五千円で2DKぐらいのアパートにね。それで、あの人、つい最近よ、伊豆に越したね。一億五千万の邸宅造って。オレ、立派だと思った。長者番付ボンボン出てるあの人が、保土ヶ谷の三万五千円のアパートなんて、みんな信じなかったものね。でも、あの人が、もし東京で二十万か三十万のマンションで、外車、キャデラックなんかにボックンボックン乗って、ワオワオやってたら、あんな家なんか建たない。ところが、おかしなもんだ。家が建ったとたんに、まわりは何を言う? 「あれは、金、力一杯ためてきたんだ」 てめえにできないことをやると、そう言うんだよ。まわりは……。てめえは、それじゃ何やってた?


オレはソロになって、マネージャーの村田に言った。「キャロルの事務所に関係したものは、ウチの事務所に出入りさすな」 何でか知ってる? けがらわしいから。


よく、あの元キャロルの矢沢から脱出して、今日の矢沢永吉になれたと思う。あれだけ中途半端なネームバリューがあったら、逆に尾を引くのが関の山だ。ゼロから出発するべきだ。心から感じてた。一生、元キャロルの矢沢永吉と言われるのか。オレは、矢沢永吉と呼ばれたい。


ハートで汗をかいてるかどうか。大事なこと。美空ひばりさん、キモノ着て、立って歌う。本物なら、きっとハートで汗をかいてると思う。矢沢も同じよ。


[ 矢沢 永吉 ]