[谷岡一郎の言葉]

2008-12-04

【「社会調査」のウソ】

『買ってはいけない』と日垣の著書『「買ってはいけない」は嘘である』(文藝春秋)とを読み比べてみた。結論をいえば、少なくとも学会誌のジャッジを任されていた経験のある学者としての判断では、これは渡辺の完敗である。まともなディベートの手順を知っている学者であれば、十人が十人、日垣に軍配をあげるに違いない。それでもなお平然と居直り、論点を故意にずらしたりスリ替えたりして負けを認めようとしないのは、はっきり言って醜悪である。このような論法は左翼知識人といわれる人々がしばしば用いたレトリックであるが、そこにあるのは学問の進歩とはほど遠い、自らの非を決して認めようとしない傲慢な精神である。間違いは間違いとして素直に認めれば良いのである。間違いは誰にでもあることであるから、それ自体は決して恥ずかしいことではない。恥ずべきはウソをウソで隠そうとする精神である。


社会調査を研究してきた者として言わせてもらえば、社会調査の過半数は「ゴミ」である。それらのゴミは、様々な理由から生み出される。自分の立場を補強したり弁護するため、政治的な立場を強めるため、センセーショナルな発見をしたように見せかけるため、単に何もしなかったことを隠すため、次期の研究費や予算を獲得するため等々の理由である。そして、それを無知蒙昧なマスメディアが世の中に広めてゆく。


誰がどんな調査を行おうと、通常はマスコミに取り上げられなければ、広く一般的に知られることはない。その意味で、マスコミにはゴミがゴールに入るのを防ぐキーパー役をしてもらわなければならない。ところがマスコミには、自分たちが行う調査を含め、その内容や方法論をきちんとチェックしている様子が見られrない。それどころか、とんでもない調査を、発表されるままに記事にしたり、場合によっては故意に悪用することをくり返している。

[ 谷岡 一郎 ]