[三木谷浩史の言葉]

2009-07-04

【成功のコンセプト】

目指す商店が見えてくると、脚を高く上げ、腕を大きく振る。それでも足りなければ、空き地を見つけて腕立て伏せをした。そのまま額や脇の下にかいた汗を拭わずに、息を切らせて目的の商店に駆け込む日々。高級スーツに身を包み、気取って話をするより、汗をかきながらでも一所懸命に話をした方が相手がよく聞いてくれることを、僕は経験から学んでいた。つまりそれは、僕がいかに真剣かをアピールするためのパフォーマンスだった。パフォーマンスと言えば聞こえはいいが、みみっちいと言われれば、ものすごくみみっちい。そこまでしなければ、話さえも聞いてくれない。それが現実だった。


改善というのは、絶対的に成長する方法なのだ。天才は99%の汗と、1%のインスピレーションからできているとエジソンは言った。それが真理だと思う。インスピレーションの大切さは言うまでもないけれど、そのアイデアの上にさらに改善を積み重ねることができる人こそが、本物の天才なのだ。


1ヶ月5万円なら、個人商店主にとってもそれほど負担にならないはずだ。企業で考えれば、課長クラスで決済できる金額が5万円でもある。これが10万円になると、部長以上の承認を必要とする企業が多くなる……。出店数を増やすためには、どうしてもこのくらいの金額に抑えておく必要があった。


真理には、新しいも古いもない。人類が地球上に出現してから何億回太陽が昇ろうとも、日の出を見て古いなどと言う人はいないのだ。改善という言葉についた手垢に惑わされてはいけない。1.01の365乗はいくつになるか計算してみるといい。1日1%のわずかな改善であっても、1年続ければ元の37倍以上になるのだ。


世の中は天才ばかりではない。けれども、改善は誰にでもできる。そして、日々改善を続けていけば、どんな巨大な目標だっていつかは達成できる。つまり、改善は凡人を天才にする方法なのだ。


パラダイムシフトの重要性については、僕も深く認識しているつもりだ。けれどあまりにもそのことばかりが強調されすぎているような気がする。走り幅跳びに喩えるなら、パラダイムシフトは踏み切りのジャンプだ。確かにジャンプは重要だけど、パラダイムシフトばかりを強調するのは、ジャンプの練習しかしない幅跳びの選手のようなものだと思う。ジャンプの前には助走がある。助走の練習を怠れば、どんなにジャンプが完璧でもいい記録は出せないはずなのだ。


世界を相手にするということは、世界のどこかにいる天才を相手にするということでもある。一歩で10段分の階段を上る天才に対抗するには、毎日1段ずつ上るしかない。


どんなに順調でも、改善できる部分はどこかにある。


人間の身の回りには不合理なことがいくらでもある。それが不合理であることを誰もが知っているのに、それが慣習だからとか、昔からそうしてきたからというだけの理由で、その不合理を誰も是正できないとしたら、それはある種の不条理だ。僕はそういう不条理が昔から大嫌いだった。


たとえ毎日1%の改善でも、1年続ければ37倍になる。1.01の365乗は37.78になるからだ。これは、1人の人間の話だけれど、組織として考えればもっと大きなことが起きる。


人類は飛行機を改善し続けた結果として月まで飛べる宇宙船を完成させたわけではない。人類が月に到達できたのは、月面に人類を送り込むという目標があったからなのだ。日々改善することは極めて重要だけれど、その改善にははっきりした目標がなければならない。


「仕事なんだから文句を言わずにやれ」とか「仕事が辛いのは当たり前」などというセリフもあったりする。けれど、それはプロフェッショナルの態度ではない。


時代のギャップや、マーケットのギャップを上手く利用すれば、一時的に儲けることは可能かもしれないが、それだけでは長続きするはずがない。


不可能に見えた山を登り切った喜びと自信が、会社の文化になる。そして、不可能を克服する喜びを知っている人に、プロフェッショナルの話をする必要はない。それは山登りの楽しさを知っている人に、山登りを勧めるのと同じこと。その人はすでにプロフェッショナルなのだ。


だいたい世の中にある仕事で、初めから面白い仕事なんてそうあるものではない。ならば、なかなか巡り会えない面白い仕事を探すより、目の前の仕事を面白くする方がずっと効率がいいはずだ。


面白い仕事があるわけではない。仕事を面白くする人間がいるだけなのだ。


未知の問題というのは、あくまでその人にとって未知であるだけで、たいていは他の誰かがかつて直面した問題であることがほとんどだ。


ひらめきは必ずしも正解ではない。そのひらめきが現実的か否か、それが戦いを有利に展開する結果につながるかどうかを判断する手がかりになるのがフレームワークだ。


ビジネス書はできるだけ読むべきなのだが、それでもやはりビジネスにおけるフレームワークは自分で見つける必要がある。


日本にどれだけの数の外国料理のレストランがあるかを考えれば、食習慣がどんなに簡単に国や文化の垣根を飛び越えるか分かりそうなものだ。けれども、それにもかかわらず日本人は「鮨の味は外国人には分からない」と信じていたわけだ。


あらゆるテクノロジーについて言えることなのだが、出現した当初はかなり手厳しい批判や拒絶反応の対象にされる。産業革命期のイギリスでは自動織機が壊され、自動車や蒸気機関車も悪魔の道具呼ばわりされた過去がある。


スピードはビジネスの成功率を高める大きなファクターだ。誰もが仕事は速くやった方がいいと思ってはいるだろうけれど、「やった方がいい」なんて生易しい話では、実はない。速くやるほど成功の確率は高まるのだ。それくらい切実な問題としてスピードの有無をとらえている人は、実はとても少ないのではないかと思う。


スピード、スピード、スピード! そう叫び出したくなるくらい、スピードは重要なファクターなのだ。


人類は歴史の中で様々な挑戦を繰り返してきた。失敗に終わった挑戦も無数にある。挫折の数だけ星を夜空にちりばめたら、夜は昼間のように明るくなるかもしれない。けれどその長い挑戦の歴史が、ひとつだけ証明した真理がある。この世に絶対に不可能なことなどひとつもないということだ。道はどこかに必ずあるのだ。

[ 三木谷 浩史 ]