[落合信彦の言葉]

2009-08-11

【国が死ぬ!】

アメリカのテレビニュースは対照的だった。特に驚いたのは、CNNが前NATO軍総司令官で、99年のユーゴ空爆を指揮したウェズレー・クラークを引っ張り出して解説をさせていたことだ。クラークといえば、今回のイラク戦争で司令官を務めたフランクスも絶対に頭が上がらないような存在である


アメリカのテレビ局の戦争やニュース報道は、明確に「視聴者はミドルクラス以上の人々」と対象を定めている。CNNにしろFOXニュースにしろ、24時間ニュースチャンネルは、「ニュースに興味のない人は観なくて結構」というスタンスだ。だからこそ、クラークのような人物に解説させることの意味が出てくる。仮にクラークが日本のテレビで解説しようものなら、国際情勢に無関心な大半の日本人は理解できないだろう。視聴者を「大人」として扱うからこそ「大人の報道」ができるのであり、同時に「大人の報道」をしているからこそ視聴者も大人になっていくのだ。


それにひきかえ、日本の場合は老若男女、ビジネスマンから主婦、小学生まで「誰にでも観てもらおう」というスタンスでニュースが作られる


すると必然的に「レベルの低い層に合わせたニュース」となる。つまり、「子供向けの報道」によって視聴者が「子供」になり、レベルの低い報道に満足する視聴者が増えれば、作る側も調子に乗ってさらに低レベルの報道をするという悪循環が生じる。


政治家の外遊や海外の政治家の訪日では、決まって羽田(約20km)から飛行機が離発着することからもわかる通り、成田に空港を作った政治家連中でさえその不便さをよくわかっている。いっそ政治家の外遊も外国政治家の訪日も絶対に成田以外を使わせないようにしてみたらどうか。


日本にはいわゆる「スポーツバカ」が多くなる。野球なら野球、サッカーならサッカーしかできないような選手だ。そうした選手は「憧れの選手」であっても、「憧れの人間」には絶対にならない。


【これからの「勝ち組」「負け組」】

人間はもともと不平等にできているものだ。家の貧富にはじまって、顔の美醜、体型の優劣、運動能力の格差など、人と人の間にはありとあらゆる格差が存在している。それを克服することが人生の醍醐味というものだ。


曲がったことが大嫌いな貴闘力は、八百長をやる力士と顔が合うと、立ち会いからバシバシ張り手をかまし、鬼のような形相で攻め立てる。これまで彼は何度も大関になるチャンスがあった。もし、星の売り買いに手を染めていれば、今頃、大関になっていたはずだ。そんな安易なことをせずに、"ガチンコ人生"を貫いているところに彼の価値がある。


【1度の失敗であきらめるヤツ 10度の成功でも満足しないヤツ】

大海を知ったら沼では泳げない


アメリカと中国は絶対に一つの天を頂かないと思う。どちらの国も「自分のところが世界一の国家だ」と思っているし、ユーモアのセンス、現実主義的なところもよく似ている。ちがいは肌の色、考え方……といくらでもあるが、お互いに「自分たちが一番だ」と思っている限り、ぶつからざるを得ない。


「我々の世代は年上の者にはちゃんと尊敬するように言われたもんだ」という捨てゼリフには、ニヤリとして「いや、尊敬っていうのは勝ち取るもんだよ」


仕事でのコミュニケーションというのは、実績をつくったときに初めて成り立つものだ。


歴史的に見ても、台湾の人はアジアの中でもっとも親日的だった。だからといって、それに甘えて加害者側が「台湾の人は日本が好きなんだよ」とは言っちゃいけない。それはあくまで台湾の人が言うことだ。


あの田嶋陽子が国会でどんな質問をしたのか、知っているか? こともあろうに「ビン・ラディンを逮捕しようとしてはいけません。アフガンに代表団を送り込んで、ビン・ラディンに『どうしたらテロをやめるんですか』ときくべきです」と言ったのだ。


あの土井たか子がサダム・フセインに会ったときに、なんと言ったか? 「ええ、誠実なお方でした……」だぞ! それにしても、あの田嶋っていうのは本当に大学の先生なんだろうか?


いち早く地震の被害をキャッチした米軍が何万枚という毛布を用意し、輸送機で大阪まで運ぼうとエンジンをふかし、「さぁ、テイクオフだ」というときに当時の運輸省から電話が入ってきたという。「フライトはやめてくれ。これは我々の管轄だから」と。すごいだろう! 日航機が御巣鷹山に墜落したときも、そうだった。あのときも、アメリカ軍がいち早く状況を把握し、ヘリコプターを飛ばして救援に行こうとしたら、旧運輸省から「やめてくれ」とストップがかかってしまったのだ。


[ 落合 信彦 ]