[山脇岳志の言葉]

2009-1-13

【日本銀行の真実】

中央銀行というのは、不思議な、ある意味では哲学的な存在である


中央銀行には、政府や国会からの一定の「独立性」が必要といわれる。選挙で選ばれた国会議員、国会議員の中から首相を選ぶ内閣から独立する。それは単純に考えれば民主主義の否定につながる。しかし、先進諸国は中央銀行の独立性強化の法律を次々と通し、民主主義に反することを民主主義的に保証しようとしているのである


好景気を求めてインフレの危険を軽視しがちな政治家や政府に、“初期消火”は難しい。うっとうしい面倒な存在であっても、通貨価値の安定を専門に目を光らせる中央銀行という存在を作っておいた方がよいというのが“歴史の知恵”なのである


日銀は、ナチスドイツの中央銀行をモデルにした亡霊のような法律からようやく解放された


ささやかな家を買う時期を間違えただけで、多額の住宅ローンを抱え込み、家庭が崩壊したケースも少なくない。心ある日銀マンなら痛みを感じないはずはない


大蔵省と日本銀行。両者は、“下げの大蔵、上げの日銀”と、公定歩合をめぐる対応で、しばしば対立的にとらえられてきた。日銀内には、かつては、公定歩合引き上げを“白星”と数える風習もあった


大蔵省よりは日銀のほうがまだ信頼できるから独立性も強化しなければならない。そんなほのかな期待も失った中で、日本銀行の新たな歴史が始まろうとしている


金利が自由化され、預金金利も貸し出し金利も金融機関が自主的に決めるようになったため、公定歩合の重要性は論理的には薄れた。代わって重要性が高まったのが、短期金融市場の金利である。資金供給をコントロールして市場金利を誘導すれば、中央銀行の姿勢を機動的に、効果的に示すことができる


「政府からの独立性」にこだわる日銀が、政府からの圧力で公定歩合を引き下げるのを嫌うのは自明である。露骨な蔵相発言が逆効果になる状況を、なぜ予想できなかったのだろうか


誰が言い出したのだろうか、マスコミと政治家、官僚らの間では「国会解散と公定歩合の変更は嘘をついてもよい」とされている


国民生活の全般に大きな影響を及ぼす公定歩合の重要さを示す言葉である


政府・日銀が前触れ記事に激怒して引き下げの日を変えてしまえば、結果的に誤報になる


日銀の金融政策、その中心にある公定歩合操作も、広い意味では、国全体の経済政策の枠内にある。日銀が、政府の経済政策とまったく異なる政策は実行できない


日本的な長期雇用制度がまだ有効と思われる自動車などの製造業と違って、瞬時にカネが世界をかけめぐる金融業は、世界中の会社が英米流の「アングロサクソン」モデルを真似せざるを得ない状況にある


郵便貯金から大蔵省、特殊法人への資金の流れは、日銀幹部の多くが信奉する「マーケットメカニズム」の枠外にある「国営銀行」だ


財政政策と違って金融政策は機動性が強みなのに、それをなかなか発揮できない


「通貨価値の安定」といわずに「物価の安定」としたのは、通貨価値の国内的安定を念頭に置き、円の対外的価値、つまり為替相場の安定については責任を回避したことを意味する


日本の蔵相は一年程度で交代する。各国のメンバーと個人的な関係を築くことができるのは、むしろ日銀総裁である


金融機関の監督や検査というのは、失敗がつきものだ。中央銀行が金融機関の検査にいちいち責任を負っていたら、中央銀行に対する国民の信頼は地に落ちてしまう。それは、正しい金融政策を行なう障害になる


イングランド銀行(BOE)では、検査部門にスペシャリストを揃えているだけでなく、別のセクションの人間は、検査部門のフロアに許可なく入ることすらできない。日本銀行とは大きな違いである


「役所の中の話だけでは、業界の本音がわからない」(幹部)という意見は根強い。人間関係が濃密な日本社会で行政を進めるためには、業界関係者と食事をしながらの情報収集が必要、とする立場だ


「検査や考査というのは、相手の協力のもとで経営の健全性をチェックしているだけで、事件化を目的としていない。それでも、見抜けなかったことを世論から責められれば、ポーズとして謝るしかない」(大蔵省幹部)


本来、税金は使わずに日銀にカネを出させたい大蔵省と、なるべくカネを出したくない日銀では緊張関係が存在していなければおかしい


中央銀行の出資という破綻処理は、諸外国にもほとんどない。フィンランドの中央銀行が子会社を通じて民間銀行を買収したケースはあるが、本来の中央銀行の任務から外れた業務であることを認め、すぐに政府が肩代わりしている


予算や税制という単年度の出入りで物事を考えがちな大蔵官僚は、「先送り」の恐ろしさが実感としてなかなか理解できないのである


日銀が、ときに「行政」、ときに「民間銀行」を使い分けながら、大蔵省と良好な関係を保ってきた歴史


だれもが中央銀行の独立性が高いと認めるドイツやスイスが低いインフレ率を実現しているのは事実である


インフレは一時的に好況をもたらすようにみえて、その実、庶民の犠牲のもとで政府が利益を得るしくみである。通貨価値の下落で、財政赤字は実質的に減り、累進課税のもと所得税の税収は増える。インフレが「隠れた増税」といわれるゆえんである


日本銀行の業務は、行政の一部なのかどうか。行政の性格を有するとしても、予算と人事を内閣がコントロールしなければ違憲になってしまうのかどうか


「マルテーブルで、こんな話が出た」と語るのは、重要な政策決定に参加したり、現場に居合わせたあかしであり、日銀マンの誇りである


「政策委員会は、民主主義のかくれみのであれば足りるので、妙に張り切って、生半可な意見など出されては迷惑だ、黙って居眠りしていてくれるほうが望ましいといった底意があるようにも思える」(武田)


「私自身も含めてのことであるが、積極的に新しい知識や情報を追求し、理解する意欲も気力も衰えはてた老人が、過去の輝かしい経歴に培われた威厳とプライドを保持するためには、沈黙という黄金の武器を用いる以外に手はないということではなかろうか」(武田)


当時の日銀総裁一万田尚登は、個人的にもGHQと太いパイプを築き、“ローマ法王”の異名を取った


当たり前のことだが、記者は記事で問われる存在である。いくら知ってはいても記事にしないのであれば、単なる“情報屋”である。記者としての価値は限りなく低い


公定歩合から市場金利操作へと、金融政策の重心が移りつつあるのは金利の自由化に伴う当然の帰結であるが、それだけではない。日銀と大蔵省の権力闘争の歴史でもあるのだ


公定歩合が下がると市場金利も下がるので、連動がそっくり切れたわけではない。ただ、公定歩合が変わらなくても、貸し出し金利が変化するようになり、それだけ公定歩合の重要性は薄れた


「マネーサプライが非常に膨らんだときには、我々の言う狭い意味での物価状況が安定していても、それ以外に、経済に予想外に不確定なかく乱をもたらす結果が出るんだな、ということです」(福井)


「マネーサプライがふくれたら必ずバブルが起こるという単純なものではない難しさがあるのですが、マネーが膨れているときは、経済の振幅を大きくするような副作用が出るリスクがある」(福井)


日銀の独立性が本当に試されるのは、利上げの局面である

[ 山脇 岳志 ]